「一生モノのギター」とは。
毎度おなじみ、小噺と言う名の無駄話。
ギタリスト界隈でよく耳にする言葉、「一生モノのギター」。
この一生モノの基準がどうにも高額なギター寄りになってるフシがチラホラ。
数十万円またはそれ以上するギターとかは「一生モノ」と呼ばれることがあるけど、
数万円だとそうは言われない。値段によって区別されてるんだよね。
何故?
何を以て「一生モノ」というのか、定義がとても曖昧なのが一因ではなかろうか?
個人的には、
「一生モノなんてものは恒常的に後付けである」
と考えている。
後からついて回るものなんですよコレ。先に言うもんじゃあなかったね。
「一生モノを買ったつもり」でいるくらいが一番丁度いいの。
一生モノ買ったつもりでいて後々使わなくなって売ったり、また買ったり。
そうやってく中で、最後の最期に自分の手元に残ったら、それが「一生モノ」。
なので、数万円だろうが数十万円だろうが数百万円だろうがぜーんぶ一緒。
途中で売ったりして手元に残らなきゃ、一生モノじゃないんだぜ。
……百万超えレベルの代物なら手放さないだろって?
甘いね。
当時100万以上したMartin D-45を「一生モノだ!」と購入して2年で「自分に合わん」と言って手放した人が今ココでこの文章書いてるんですよ。素晴らしい実例。
なので、結論にして極論にしてしまえば
「一生モノのギターは誰もが今手元にあるソイツのこと」
うーん、我ながらちょっとサイドホイールをプッシュ気味。
まぁ、売らなければいいのよ。
一生モノだよ?現時点では一生モノ。